2013年4月26日金曜日

祖先と子孫が出会う場所-ブキット・ブラウン墓地の清明節

 こんにちは、元ゼミ生の齋藤@シンガポールです。日本の4月は新生活がスタートする季節ですね。従来のゼミ生の皆さんに加え、続々とアップされる新入生の皆さんの記事を楽しみに拝読しています。遠方からですがどうぞよろしくお願いします。

 さて、4月のシンガポールでは中華系シンガポーリアンが先祖を弔う清明節(Qingming Festival)という行事があり、お墓参りが行われます。以前こちらで”破壊の危機迫る文化資源”としてご紹介したブキット・ブラウン墓地(Bukit Brown Cemetery)も、この季節はお参りをする親族で賑わいます。そこで今回は宗教の実践の場としてこの墓地をご紹介したいと思います。

 本題に入る前に、中華系シンガポーリアンの宗教事情について触れておきます。彼らの宗教観の実態は先祖に加え、孔子、観音、関帝など様々な神や霊媒(童乩)を崇める多神教崇拝だと言われています。2010年の統計によると中華系国民の57.4%が自らを道教或いは仏教とだと認識する一方で、同グループにおけるキリスト教徒の割合は年々増え続け、1980年の10.9%から2010年では20.1%にも上っています。シンガポールでは80年代から既に、華人の伝統的な地縁・血縁組織の弱体化や墓地から納骨堂への変化などが清明節の実践に影響を及ぼすと指摘され、昔は古い祖先のお墓にも参っていたのに今や新しい墓へのお参りもままならないと言われていました(タム・ソンチー『近代化と宗教-複合社会シンガポールの場合』(1989))。また、キリスト教徒の若い華人の間では墓参り離れが生じているとの分析もあります(合田美穂『シンガポール華人の埋葬・葬送儀礼・先祖崇拝についての社会学的考察』(2003))。こうした時代の変化を見る限り、ブキット・ブラウン墓地が長らく埋葬者の子孫に忘れ去られていたこともうなずけます。しかし2011年、道路建設でシンガポールの歴史が詰まった墓地の一部が破壊されると公表されて以来、ボランティアらによる精力的なPRも功を奏し、清明節の儀礼をこの墓地で行う人は増えているようなのです。特に今年の清明節は工事予定地区の墓石撤去の直前とあって、先祖の墓石に手を合わせる最後の機会を逃すまいと多の親族が墓地を訪れたようです。 

一族の眠る敷地。5基の墓石すべてを修復した。
お供え物を並べ、ライオンの像にリボンを巻いていく。
今回見学させていただいたのは、崩れかかっていた先祖の墓石5基を修復したご家族のお墓参りです。彼らがこのお墓参りを実現するまでには長い物語がありました。主人公は専門学校へ通う娘と息子を持つこの家のお母さんです。お母さんは先祖が夢に出たことをきっかけに、90年代末に墓守の協力を得てブキット・ブラウン墓地の草むらに埋もれていたへ曽祖父母の墓石を発見し、彼女の両親の代で途絶えていた清明節のお墓参りを再開しました。2011年にボランティアによる墓石調査と子孫探しが始まると、彼女の高祖父で今やシンガポールの街道にその名を残すパイオニア・Tan Quee Lanの墓石が発見されたことをボランティアのブログが報じます。お母さんはすぐさま発見者に連絡し高祖父とその他親族を合わせた墓石5基の存在を確認しました。中華系のお墓では1基につき一人か夫婦で埋葬されます。古い墓地では一族が近くにまとめて埋葬されるためブキット・ブラウンに並ぶ墓石はまるで家系図のように、一族のつながりを辿ることが出来るのです。

 今回の感動の再会は今は亡き先祖とのそれにとどまりませんでした。お母さんは墓地保存ボランティアから、これまで会ったことのなかった従兄弟が親族を探しているという知らせを受けます。墓石発見を機に、現在はマレーシアに住んでいる従兄弟と初めて顔を合わせたお母さんと親戚一同は、ジャングルの奥で朽ちてしまった古い墓石たちを修復することを決断しました。5基の墓石すべてを造りなおす作業は8ヶ月にも及んだそうです。保存状態の良かった高祖父Tan Quee Lanとその息子の墓石はもとのものを磨いて使っています。一族の再会と修復作業は現地のドキュメンタリー番組でも紹介されました(映像の3:30あたりから家族のエピソードが始まります)。そして、一連の修復作業が終わり、お寺に仮住まいしていた祖先の魂を墓地に呼び戻す儀式が、先日私が見学したそれだったのです。

先祖のための本物のご馳走。缶ビールは偽物。
飾りにバラの花びらも散らされた。
この墓石はオリジナルを磨いて使っている。
この日のお昼前、赤いTシャツに身を包んだお母さんの兄弟とその子どもたち、そしてマレーシアの従兄弟の総勢13人が、お花やお供えの品を手に白く輝く5つの墓石に集合しました。儀式は道教の道士、承孝さんが取り仕切ります。弱冠32歳の承孝さんは5歳のときから家業に携わり、20歳で道士として仕事を始めたそう。一家とはお墓修復のときからのお付き合いで、今日はお弟子さんと二人で儀式を進行しました。

 まずはお母さんらの指示で真新しい墓石にお供え物が並べられます。子どもたちは墓石に色とりどりの紙を撒き、女性たちは本物の食べ物や紙で作った洋服の包みを手際よく備えていきます。従兄弟の男性の創意か、赤と黄色のバラの花びらも色紙と一緒に撒かれ、殺風景だった墓石は一気に華やかになりました。同じ頃、道士の承孝さんとお弟子さんは墓石の隣に新調された土地の守り神の前にお札や線香など、儀式に使う道具を並べていました。今日の儀式はこの土地の神から始まります。約1時間にわたって儀式を見学させていただいたのでそのすべてに触れることは出来ませんが、印象深かった場面をご紹介していきたいと思います。
土地の神に赤い印をつけて命を吹き込む道士
承孝さんと、儀式を見守る一族の方々。

 道具とお供え物が一通り並ぶと、私服の上に土地の神の儀式用の赤い衣を身につけ、帽子をかぶった承孝さんが片手で鐘を鳴らしながらお経をあげはじめました。お経が終わると、赤いインクをつけた筆で土地の神と各墓石の両脇に佇むライオンに印をつけていきます。こうすることで神やライオンに命が吹き込まれるそうです(だるまに目を入れるのに通じるものを感じますね)。筆は複雑な軌道を描きますが、インクが残るのは最後の一点のみ。インクをつける際、承孝さんは短いお経のようなフレーズを唱えるのですが、傍観していた一族の皆さんが最後のパートで"huat ah!(福建語で「幸あれ!」の意)"と叫びます。最初はたどたどしかった掛け声ですが承孝さんが見事に場を盛り上げ、すべての墓石に印をつけ終わる頃には我々撮影隊や墓地ツアー参加者も加わって皆の幸福を祈る"huat ah!"の大合唱となりました。この賑やかで楽しげな雰囲気は日本の墓地ではなかなか見られない光景です。
祖先の魂をお寺から墓石に呼び戻す儀式。
赤い服の男性がお札を供える親族代表。
魂が移動するときは墓石の上に置かれた傘を使う。

 その後、承孝さんは祖先の霊を供養するため、緑の衣に着替えました。墓地の修復中お寺に移されていた先祖の魂を墓地に呼び戻す儀式の始まりです。まず親族の代表者が土地の神にお祈りをして、おみくじを引くときに使う二つの赤い三日月形のポエを投げます。投げて裏表が出たら儀式を続行、それ以外の場合は再度投げるようでした。ポエのOKが出ると、親族代表は承孝さんの誘導で、紙でできた傘をとお札をそれぞれの墓石に備えていきます。魂が移動するときはこの傘が必要だそうで、遺骨を墓地から納骨堂へ移す際も傘が用いられていました。不思議なもので、いよいよ祖先の魂がお墓に帰ってくる頃になると、急に雲行きが怪しくなり強風が吹き始めました。中華系シンガポーリアンの間では、神様や魂が降りてくるときは雨が降ると信じられているようです。

 今回の儀式では親族が参加する場面が多々ありました。皆が作法を心得ているわけではなく、承孝さんのガイドに従って手順を踏んでいきます。こうした参加者と道士のインタラクションについて承孝さんは次のように話していました。「私の行う儀式では、たびたび観客に参加を求めます。観客が好奇心を持って儀式を見守り、そこに彼らが参加できるパートを設けることで、儀式にこめられた意味を知ることができる。儀式への参加は自身のルーツとなる文化を学ぶ機会となります。」まるで芸術のアウトリーチを行うアーティストの言葉のようです。

 清明節のお墓参りの光景は、ブキット・ブラウン墓地が文化的・歴史的な遺産である以前に、祖先と子孫をつなぐ場所であったことを思い起こさせるものでした。承孝さんはここに眠る先人たちのために、今後より多くの供養を行っていきたいと話していました。また墓地ガイドさんの一人は、ブキット・ブラウンは偉大な過去を物語るだけでなく、未来へつながる遺産だと言います。墓地ガイドさんたちは地道な墓石や家系の調査を通じて、これまでに何組もの家族の再会を実現してきました。墓石の発見を通してばらばらになっていた家族が再会し、子どもたちに先祖供養の作法が受け継がれる、そうした営みはこの場所が"博物館行き"にならず、"墓地"としてここに存在しているからこそ可能です。今回も調査チームによる記録映像の撮影が行われましたが、映像を見るのと実際に儀式に立ち会うのでは大きな隔たりがあります。お墓参りの季節が終わるといよいよ墓石の撤去が始まるため、敷地内では同日、作業に備えた大規模な草刈りが行われていました。そんな中、清明節は道路建設の行方のみならず、今後の保存方法の方向性についても考えさせられるものでした。(齋)

2 件のコメント:

  1. Thanks for the writing. Really love it :)

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  2. Thanks Jave for your comment, sharing the impressive moment and a lot of information about the ceremony! (R.S)

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