2013年2月5日火曜日

Green Corridor Run-旧マレー鉄道路線の保存運動にみる使って守る文化資源

 常夏の国シンガポールでは、年間を通じて27℃前後という暑さにもかかわらずランニングが人気で、真夜中のフルマラソンや動物園を走る大会など数々のユニークなレースが開催されています。今回はその中の一つ、廃線になったマレー鉄道の路線跡を6000人以上が駆け抜けたGreen Corridor Runを通して、地域の文化資源を使って守る可能性を考えてみたいと思います。

国の歴史遺産に指定されたTanjong Pagar駅がスタート地点。
シンガポールの朝7時はまだ暗い。
シンガポールからマレーシアを通ってバンコクに到る路線は日本でもマレー鉄道(狭義にはマレーシア国内の路線のみを指す)の名でお馴染みです。シンガポールのほぼ中央部を南北に走る路線は、マレー半島からスズやゴムを効率よく輸送するためイギリスの植民地だった1903年から運行が始まりました。当初は船で海峡を渡っていたそうですが、1923年に半島に繋がる橋・コーズウェイが竣工すると鉄道はマレー連合州(Federated Malay States、イギリス保護領、1895–1946)が買収。マレーシアとシンガポールの独立後もシンガポール領内の路線はマレーシア鉄道公社(Keretapi Tanah Melayu Berhad)が運営し、敷地はマレーシア領となっていたのです。

敷地の所有を巡っては両国間で中々話がまとまらずにいましたが、2011年6月にようやくシンガポールの港(南端)の近くTanjong Pagar駅とその中の出入国審査場が、マレーシアとの国境に近いWoodlands(北端)に移転しました。そしてTanjong Pagar駅とWoodlands駅を結んでいた全長約26kmに及ぶ路線とそれを取り囲む豊かな自然は、シンガポール政府が自由に開発できる敷地となったのです。(2010年5月時点ではマレーシアとの合弁会社が共同開発を行なう予定だったが同年9月シンガポール政府が単独で開発することが決定。)

 都市再開発局(Urban Redevelopment Authority)は開発と環境保護の両立を目指すと言っているものの、線路の周辺に広がる緑と鉄道関連の歴史遺産が失われると危惧したNGO・Nature Society (Singapore)(1991設立)は2010年10月、政府に意見書(PDF)を提出。Nature Societyの主張に賛同した人々は"Green Corridor保存運動"を始めました。Green Corridor運動はFacebookウェブサイトを通じて急速に支持を増やし、都市再開発局も枕木などの撤去作業を進める一方で、路線跡を歩くイベントや再開発のアイディアコンペ、展覧会などを開催して鉄道遺産の価値をPRし始めました。2011年、美しい建築のTanjong Pagar駅は国の歴史遺産に登録され、沿線上にある小さな駅の一つで煉瓦造りのBukit Timah駅も歴史的建物として保存されることが決まり、Tanjong Pagarの駅舎を使った展覧会などが開催されました。
プラットホームでスタートを待つランナー達。

 駅舎など歴史的建造物はロケ地や展覧会場として活用しその価値を発信していくことが出来ますが、建物だけでなく線路跡全域の保存を目指すGreen Corridor運動は、26kmに及ぶ緑の回廊の魅力を多くの人に伝えるため知恵を絞りました。そうして開催されたのが今回のGreen Corridor Runです。暑い中26kmを歩いて制覇しようという人は中々居ませんが、ランニングブームのシンガポールには線路を走ろうという人なら沢山居ます。大勢の人が緑の回廊を駆け抜ける姿は、歴史や自然愛好家のコミュニティだけでなく、レースに参加しない一般の人々にも充分なインパクトを与えます。レースが好評なら次もまたやろうという機運が高まり、駅舎だけでなく線路跡全体を保存することに繋がっていくでしょう。

 レースは前述のTanjong Pagar駅からBukit Timah駅までの10.5kmの区間で行なわれました。まだ薄暗い朝7時、かつて郵便列車も停まっていたというTanjong Pagar駅の長いホームは写真のように多様なランナーで埋め尽くされました。線路跡からはほとんど枕木等が撤去されているのですが、ホームの奥には一部線路が残されており、スタート位置に向かうランナーはこの線路を見て在りし日のマレー鉄道に想いを馳せることができる仕掛けになっています。
枕木などが撤去された線路跡の道を走る。

 マレー鉄道はシンガポールのど真ん中を走っていたにもかかわらず、線路の両脇には豊かな自然が広がっています。また道中は鉄道関連の遺産だけでなく、団地の近くでは家庭菜園や愛鳥家が自慢の鳥かごを飾るポールなどシンガポールらしからぬ長閑な光景が目に飛び込んできて、ランナーを驚かせます。コースの所々には「泥に注意」「石に注意」といった標識が出ていて、参加者たちは泥だらけになりながらゴールを目指しますが、それも貴重な体験。参加者の多くはタイムを競うだけでなくコースの魅力を楽しんでいるようでした。
 そしてゴールのゲートをくぐると、Bukit Timah駅の可愛らしい駅舎と残された線路が見えてきます。マッサージコーナーもVIP席もありませんが、ランナーたちは走った疲れも忘れて、駅舎の中をのぞいたり、線路の上で思い思いのポーズで写真を撮ったりしていました。中でも古い駅名票は人気で記念撮影のための列ができるほどでした。また、Nature Societyのブースでは多くの参加者や家族がスタッフの説明に熱心に耳を傾けていました。

歴史的建造物として保存されるBukit Tima駅。
残された線路で休憩するランナー。
このように、Green Cirridor RunはNature Societyが政府に提出した意見書で描いた敷地利用案を体現したイベントでした。6000人以上のランナーとその家族、運営に携わったボランティアの数だけを考えても、多くの注目が集まったことがわかります。今年1月31日、政府は土地利用計画(PDF)を発表、旧マレー鉄道跡地は国民が余暇を過ごす”green Rail Corridor”として整備されることが明記されました(p.34)。しかしGreen Corridor運動の支持者たちの中には、線路跡全域が自然公園に指定されるまで再開発の懸念は消えないという声もあり、運動はまだまだ続く模様です。政府が強力に開発を推し進めてきたシンガポールですが、私が住み始めた2年弱の間にも様々な場所で歴史遺産や自然の保存運動が始まっています。演劇や宗教儀礼の実践に見られる工夫と同様、国の規制が厳しい中だからこそGreen Corridor Runのように優れた戦略を持って代替案を提示する市民運動が生まれてくるのではないでしょうか。2030年までに市民が自らの手で"上質の生活環境"をつかみとることができるのか、引き続き見守っていきたいと思います。(齋)

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